(第八話)

自然居士の旧跡

 私の住まいとする自然田第四地区のはずれに自然居士という祠があり、ここには写真の樹齢約450年、幹周り約4メートル、樹高約16メートルの大いちょうがある。樹の上半から幹がわかれ多くの枝が張り出しその枝ぶりが見事で昭和56年大阪府の天然記念物に指定されている。昔は現存するいちょうの他に山桃の大木もあり、春には山桃の木にのぼり実を食べ、秋には銀杏を拾って遊んだものである。
 自然居士というのは謡曲(室町時代にできた能楽)の台本で、その名作の一つに「自然居士」という作があり、この人物にまつわる伝承を主題にしたものである。
 この自然居士は、山本三太夫家(自然田の頭で徳川初期まで庄屋の家柄)の総領として、宝冶元年(1247年)に生まれ、この地がその宅跡とされ写真の旧跡の石標があり裏面に、「おのずからいく萬世(ももとせ)を経ぬるとも昔わするな山本の里」と刻されている。自然居士は幼少の頃から俊英抜群の英傑で普通であれば山本家を継ぐべきところ、このせまい土地にあきたらず故郷をあとにし奈良の興福寺に入り法学を学び、のち京に赴き大明国師(南禅寺を開祖した上人)に師事し禅に帰依したが髪は剃らず居士の姿で衆生を集め説法を開き、浄財を得て師の住庵の奥に雲居寺を建て住庵としたといわれ、「謡曲自然居士」は雲居寺造営の説法中に起こった事件を脚色したもので、両親の菩提を弔うため我が身を人買いに売りその金で衣を買い、居士に寄進した孝女であると知った居士が即座に説法をやめ人買いの後を追い無類の人買いに応酬しその孝女を助けて帰るという筋であるが、その慈愛心といい正義の味方が謡曲の題材とされたのである。
 のちに村人が居士の徳を偲び屋敷跡に小祠を建て小像を祀り、今では祠前に拝殿を建て地区の皆さんが毎年正月15日に集まりお祭りしている。祠前の大いちょうと山桃の木は居士の愛でた樹であると伝えられその面影が今に偲ばれるが、山桃は戦後の台風で倒れたが今は第2世が大きく育っている。
               根来 治(郷土史家・黒田の人)著作集より