郷土はなし(第十一話)

わが町の観音信仰

(長楽寺)

(観音像)

 昨年のバス旅行で皆さんとご一緒に西国二十七番札所書写山圓教寺にお参りしましたが、当市でも昔から観音信仰の西国札所巡りが十人二十人と講を作り白衣を身に着け旅に出たもので、今でもバスツアーとかで西国巡りをしている人が大勢おられます。
 私も十年余り前に約二年がかりで第一番の那智山青岸渡寺から満願の岐阜県第三十三番谷汲山華厳寺を納経帳にご朱印を押してもらいながら巡って来ました。
 昔からこうした観音信仰が盛んで満願した記念に第一番那智山のご本尊如意輪観世音菩薩像を浮き彫りにした碑を各村の寺院に建立して後世に残したもので、特に鳥取中の人達は現在の平野台ゴルフ場が開発される前の小高い山林一帯の中に西国めぐりの細道をつくり一番から三十三番の観音像を祀り小堂を建て霊場巡りをしたもので、私も子供のとき親と一緒にお参りしたことを記憶しています。
 そこには現在も長楽寺の本堂がお祀りされ参道両側に地元の方々のご寄進で写真のような観音像が祀られています。
 その長楽寺は奈良時代、僧行基の開創と伝えられ七堂伽藍の巨刹を誇っていましたが、秀吉の根来攻めの際兵火にみまわれ消失したがその折弘法大師の作と伝えられるご本尊の十一面観音菩薩が向かいの松の木に飛び出し難を逃れたといわれ、その松を影向の松と呼ばれたとの伝説があります。
 その後本堂を復興しご本尊を秘仏としてお祀りしたもので何年か振りのご開帳には近隣から大勢のお参りがあり賑わったもので、これを当てこんだ芝居興行も行われたとの記録も残っているそうです。
 追記 平成十五年の「わ」第七号から始まった「郷土はなし」も紙面の制約で十分お伝えできなかったことがありましたが、私の記憶も少々ネタ切れの感があり、貴重な紙面を占領するのも編集委員の皆さんのご迷惑とも思いますので今号で終わらせてもらいます。
 長らく有難うございました。