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清水のお大師さん


何年か前に当クラブの辻先生に連れられ近郊の史跡めぐりをしたのをご記憶のお方もおられると思いますがその際訪ねたことがある清水のお大師さんは、波太神社のお祭りでお神輿がお渡りする尾崎の海老野の広場の海に向って左側にある住吉稲荷神社の赤い鳥居をくぐり細い路地の突き当たりに祀られている。
この大師堂は昔このあたりを通られた弘法大師が近くに住む漁師達がいくら井戸を掘っても海岸が近いため塩分の含んだ水しか湧かず難渋しているのを聞き「さぞかしお困りであろう私がお祈りして水源を探してあげよう」と持った杖を立てお祈りをしたところその杖の先からコンコンと清水が湧き出したのを見てびっくりした村人がこのボロを纏ったお坊さんが弘法大師と知りさらに驚き手厚くお接待しもてなしたと伝えられ、その清水を大事に生活用水として利用しその後村人達が清水が湧き出た淵の横に大師の恩に感謝し大師堂を建立してお祀りしたもので、有志で大師講を組織し今でも毎月20日に講員が集まりお祀りしているそうで、取材でお参りした際に出会った講のご婦人に尋ねたところ「お大師さんの日は21日やのに何時から20日になったんか判らんけど4月20日には年に一度の大祭があるのでその折にまたお参りして」といわれ昔はこの清水の淵から溢れ流れ出た水を段々に3箇所の畳一畳敷き位の大きさの枠を通し上ではお米や野菜を洗い、中では取れた魚を料理し、下では子供のおむつや洗濯物を洗い海に流していたと教えられた。
私が子供の頃親に連れられお参りしたときの記憶では清水の淵一帯は大きな松の木や椿の木が生い繁り澄み切ったきれいな水が満々と溢れていて、境内にはたくさんのお地蔵さんが祭られていたがこれも今は一箇所に集めて合祀されその一つに蛇が石に巻きついた彫刻がある石塔には年号が寛政庚申秋8月とあることから今から209年前の江戸時代のものであることがわかる。
その淵も今では石で蓋がされ湧き出た水はポンプで汲み上げられていて近隣の方々が霊水として汲みにこられていた。
今でも少量だが溢れ出た水の洗濯場は正面入口入った右側に移設され一つだけその面影を残している。